帰り道の秋の匂い
小学校1年生の娘の運動会の帰りの夕方、ちょっと散歩したくなってひとりぶらぶらと歩く。一日のどかだった空あいが怪しく暮れ、急ぐこともなくただ歩く。毎日事欠かない穏やかな日々を育む町並み、家並みである。ちょっと見上げると、窓にあたかも図ったかのように灯が入る。それぞれの家の人びとの暮し、団らんを想像しながら歩く。あるマンションの一室からは、カントリーロードの練習曲がこぼれている。ある一軒家の台所からは、夕飯のお肉を焼く、おいしい匂いがただよってくる。テレビのニュース番組からアナウンサーが地震の状況を知らせる声が聞こえてきて、人影がふと見える。ぼくにも帰る家があり、ハムスターが待っていて、不遇ではないのだが、でも住宅地の夕暮れには、やるせなく団らんを感じさせる音や匂いや人の動きがある。独り暮らしのかたには、どれくらいせかされて通りすぎようとすることだろう。例年より少し遅い時期の金木犀の香りがかぐわしく、たださみしげに漂ってきて、不自然なほど明るい秋の月が顔を出し始める。なんとも日足の早い夕暮れである。気がつけば、いつか細い雨が振りだしていた。胸の中をちょっとさみしい秋風が通りすぎた気がする。
家近くになり、近所の大きな白い犬がベランダからひょいと顔を出して、ワンと優しくお帰りのあいさつをしてくれた。
秋山哲夫
つれづれなるままに、ひぐらしスマホに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、 そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ!
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